二〇十一年 十一月  デンタ日記
 
 十一月三十日 鱈とジャガイモのグラタン。
 ばんごはんは、鱈とジャガイモのグラタン。あったかくおいしい。

 十一月二十九日 目玉焼きセット。
 あさごはんは、だいたいが目玉焼きセット。目玉焼きと、その日の野菜の盛り合わせ。


 十一月二十八日 北東北・函館フリー乗車券。
 東京都区内からフリーエリアまでの往復乗車券とフリーエリア内乗降自由で東京都区内発18000円だ。フリーエリアは、青い森鉄道線、いわて銀河鉄道線、三陸鉄道北リアス線、秋田内陸縦貫鉄道線、JRバス青森~新青森~十和田湖間「みずうみ号」、八戸~十和田湖間「おいらせ号」、二戸~久慈間「スワロー号」、脇野沢~大湊~田名部間 など。有効期間は、使用開始から5日間だ。該当地域に5日間旅行する場合はかなりお得だ。
 
 旅に出る。
 プラットホームの端は、おとといの雪が残る。
 黒の中に、新青森駅。
 大きなバッグと親子が、楽しそうで、談笑してる。
 かつての日々がよみがえり、寝台特急が通過する。
 私は、かあちゃんと旅の続き。
 

 十一月二十七日 ガスレンジ。
 草加市にあるガス会社の営業所にガスレンジを見に行った。リンナイの新型と交換する予定。うんまいものを食うための設備投資だな。

 十一月二十六日 メタルボンド。
 歯科技工所から右下第一小臼歯と左上中切歯のメタルボンドが出来上がってきた。(左写真) メタルボンドは、陶材焼付け前装金属裏装鋳造冠の俗称です。ロストワックス法で鋳造した金属冠の表面に歯冠に似せた陶材を摂氏1200度以上の高温で焼き付けて作ります

 十一月二十五日 グループホーム なかよし。
 午後1時30分になかよしさんに訪問診療をする。外も中もクリスマスイルミネーションでいっぱいだ。日没後にこのイルミネーションを見たいね。
 Oさんの蝋義歯を試適してみた。良好なので仕上げをする。来週には新しい義歯が出来上がってくる。



観光電鉄


十和田


青い森鉄道
 十一月二十四日

 十和田市現代美術館。


 6時半に起きる。雨が降っている。雲が立ち込めて山並みが見えない。天候でまったく違った朝食ビッフェになる。午前中は、十和田市現代美術館まで移動だ。チェックアウト後、タクシーで駅まで移動する。私たちがタクシーを使うのはかなり稀な事なのだ。

8:56発 弘前
↓奥羽本線 青森行
↓38分 1890円
9:34着 新青森
9:42発 新青森
↓はやて20号東京行12番ホーム
↓23分 指定席2100円
10:05着 八戸
10:22発 八戸
↓青い森鉄道線 青森行
↓18分 550円
10:40着 三沢(青森県)
10:51発 三沢(青森県)
↓十和田観光電鉄 十和田市行
↓27分 570円
11:18着 十和田市

 十和田市は、晴れているが冷たい風がふいていた。駅から約1.5キロの官庁街通りまで歩いた。何の変哲も無い消火栓がオブジェに見えたりする。私の脳はすでにシンシチブになっている。

 官庁街通りには作品が散在している。リストを基にチェックしながら歩かないと見落とす。私も「虫ーA」を見落とした。
 太った家(作品:ファットハウス)は、家も芸術だと主張する。もし家を建てる大工さんが、家を芸術だと宣言すれば、家は芸術であり、大工さんは芸術家だと言っているのだ。家は住まいであり芸術だとすると二重の価値があると言っている。私は、太った家の言うとおりだと思う。

 私は「これが、芸術だと宣言すると、それは芸術であり、宣言した人は芸術家になる。」と思っている。ま、他者が、それに同意するかは別の問題だが。だから、人の作ったもの、造ったもの、創ったもの、ツクッタモノ全てが芸術と成り得るし、其れをツクッタ人はみな芸術家だ。一生懸命生きることそのものが芸術なんじゃないのか。私は、コンテンポラリアートを見てると、そう思う。怠けて生きていたら芸術家になれないな。大工さんも、マラソン選手も、おでんやさんも、福祉施設の職員さんも、船乗りも、山葡萄皮細工職人も、シェフも、自動車やさんも、一生懸命生きてたら、それぞれの領域で現代芸術家だろう。

 コンテンポラリアートは、日々の生活の中に芸術が潜んでいると、私に囁く。コンテンポラリアートは、本当の芸術はお前の脳の中にあると、私に囁きかける。白いトイレのドアに映った自分の影が面白い。コンテンポラリアーチストを気取って私のデジカメで私の作品を残す。
 風が冷たいので、野外展示をそこそこに美術館に入った。まずは、カフェで一休み。バターナッツのスープが、おいしかった。 (バターナッツは、ひょうたん形の小型南瓜らしい。)館内は、当然ながら撮影禁止。脳内に焼き付ける。館内のカフェでかあちゃんと記念写真を撮った。
 日没後のライトアップは、美しい。これも作品だ。「いろどりのかけら」高橋匡太(最下写真) 十和田市現代美術館に行ったらぜひ日没まで居ること。
 さて、帰りはJRバスおいらせ92号(現代美術館前16:55→八戸西口17:45)で八戸駅まで戻った。東口駅前にある八戸魚河岸食堂 ごっちょ寿司でばんごはんを食べる。店内は回転すしのような雰囲気ですが、美味しかったです。八戸魚河岸食堂は違うタイプ四店舗が合体した食堂です。詳細は、ネットで調べてね。今度八戸駅前で食事をする時は、また利用するでしょうね。ドトールコーヒーでかぼちゃのチーズケーキとコーヒーを買いこんで東北新幹線はやて40号(八戸18:57~上野22:02)に乗り込んだ。




     

城西大橋から岩木山


 Blanche


La  Porte 



 十一月二十三日

  弘前晩秋


 午前6時起床。
 土手町の
 ホテルから
 弘前公園まで
 ゆっくり
 走る。
 寒い。
 止まると
 冷えてくる。

 早朝の弘前公園をかあちゃんと一緒に走る。堀に薄氷が見える。東門から北門に回りこんで公園内に入った。
 太陽が昇ってきた。もみじの葉の露が、水滴の形のまま凍っている。岩木山も裾野から頂上まではっきり見える。
 
 走ってるが、あちこちで写真を撮る為に停止する。寒くなってしまう。どこの公園でも、寒いけれど散歩をする人ランニングをする人が行きかう。八坂公園と同じだな。
 気温はかなり低い。しかし、早起きは三文の得である。昼には見られない景観を楽しむことができた。

 私たちは、朱色の下乗橋から天守を見るところで、いつも記念写真を撮る。25年前に初めて弘前公園に来たときも、かあちゃんと私は、ここで記念写真を撮った。あの時は、弘前がこれほど身近な街になると思わなかった。

 午前8時。ホテルに戻った。
 長男も交えて3人でホテルの13階にあるレストランで、ゆっくり朝食ビッフェを楽しんだ。品数豊富でどれも美味しい。コストは1050円だが、この景観も勘定に入れるととてもリーズナブルだ。少し曇があるが、程よく流れて良い感じ。遠くの山並みと岩木山も美味しい。すこし、食べ過ぎた。
 
 何気なく通り過ぎただけでは気づかなかったものが隠れている。弘前人にはありふれた日常でも私たちには非日常だ。古いけれど良く手入れされた家、街中の由緒ある古木、新しくスマートな家、駐車場の一角に残された蔵、雪囲いをする人。弘前の街をまるであみだくじをたどるように、散歩する。
 みかみ工芸(弘前市茂森街19-1)は、あけびつる細工、山葡萄皮細工を扱う青森県伝統工芸品指定店だ。店内に入って、山葡萄皮細工の手提げかごが、私の目を引いた。山葡萄の皮という天然素材をまじかで見るのは初めてだ。が、なにか、あっさりと、身近な親しみを感じる。しかし気高い美しさを感じる。使えば使うほど手油がしみこんで艶がでるらしい。でも、手が、出ないや。
 午前中は晴れて良い天気。こんなときは城西大橋からの岩木山が最高だ。(左側最下段写真) 私としては、弘前公園からの絶景ポイント(右側最上段右側写真)よりも城西大橋の上からの眺めのほうが好きだな。

 再び長男を呼び出して、佐和家で昼食をとる。居酒屋のランチメニュー、海鮮丼、角肉煮定食、てんぷらそば定食がそれぞれ700円であり美味しかった。
 昼食後は、かあちゃんと歩いてリンゴ公園に向かう。弘前大学医学部研究棟の前に生体肝移植最長生存犬「よーこ」の銅像があった。生体肝移植治療法の開発に貢献した犬なんだな。
 ちょっと雲が多くなって気温が下がってきた。大きな通りからそれてリンゴ畑の中をしばらく歩く。園内では、家族連れが数組遊んでいる。リンゴの収穫は終わっているからか、休日の午後なのだが人出はすごくすくない。 かあちゃんとそれぞれ一個リンゴを買って食う。公園内の畑で収穫されたものだ。自家消費用の形の不ぞろいな小さめのリンゴは、とってもリーズナブルな価格だ。しかし、そのとっても濃い味に圧倒されて、思わずリンゴを5キロおみやげとして買った。リンゴ公園からの帰りは、かあちゃの足が故障したので市内観光スポットを回るバスに乗った。全区間100円。いつもなら1.5キロの道のりにバスを使うことなどありえない。今回は特別だ。ねぷた会館まで戻ってせんべいを買う。ここからは、ホテルまで約1.2キロ歩いた。

 日没後はぐんぐん気温が下がる。今夜は氷点下にさがるのだろうか。風も出てきてすごく寒い。 ダウンジャケットの襟をふさいで ラ・ポルト・ブラン La Porte Blanche (弘前市本町44-1)に歩いていく。長男と待ち合わせて夕食をとる。店名の Porte Blanche は、フランス語で「白いドア」という意味だ。オーナーシェフは、白戸信幸さんです。
 3人で「季節のコース」をお願いした。ホタテのサーモン巻きと県産桜姫鶏のロールサラダ仕立て(上段左側写真)、リンゴの冷たいクリームスープ(上段左側写真)、かぼちゃの温かいスープ(2段目左側写真)、鮭のポアレ(2段目右側写真)、奥入瀬ガーリックポークのりんごジュース煮(3段目左側写真)、牛モモ肉のステーキ香草風味(3段目右側写真)、デザート(最下段写真)。(スープと肉料理は選択可能)パンとコーヒーが付いて@4200円。どの皿も美味しかったが、私は奥入瀬ガーリックポークのりんごジュース煮が特に印象に残っている。
 1時間半ぐらい、ゆったりのんびり3人であれこれ話しながら食事を楽しんだ。また、弘前に来たときに、きっと行くだろうポルトブラン。
土手町に弘前中央食品市場がある。ぶらり入ってみるとまるで御徒町のアメヤ横丁のような雰囲気だ。通路の両側に小さな食料品店お惣菜やラーメン屋焼き鳥や魚屋八百屋が並んでいる。菓子やもあったな。チャンスがあったら何か買いたい。買い食いしたいな。食ってみたいな。私的に、弘前のリトル・アメ横と命名した。
 丸一日、弘前を楽しんだ。

 十一月二十二日 「女将弁当~津軽の宿~」。
 午後2時少し前に家を出る。新幹線はやて33号で青森に向かう。スタバの香りを持ち込んで非日常の始まりだ。大宮駅を過ぎて、車窓の日没がきれいだ。午後6時、すごく腹がへってきた。新青森駅の売店で駅弁を買ったのだが、乗り継いだのは、奥羽本線のふつう列車でベンチシートおまけに通勤時間帯でけっこう込んでいる。とても駅弁を食べる雰囲気ではないな。腹が減ったままオアズケダ。弘前は、腹がへったまま寒い。
 「女将弁当~津軽の宿~」を買ったが、結局ホテルにチェックインするまでお預けになった。コストは、1100円だが、新青森駅あるいは弘前駅で駅弁に迷ったら、私のお勧めの一つだ。(右写真) 郷土色豊か、JRグループ協定旅館ホテル連盟の津軽地区会員の女将たちが地域のこだわりをこめて作った弁当らしい。一の重に帆立素焼、リンゴ赤ワイン煮ベーコン巻、長芋ばっけ(ふきのとう)みそ焼き、十和田湖産姫鱒西京焼き、イガメンチ、菊花漬け(秋刀魚入り)、煮物(玉蒟蒻、鶏活部煮、絹さや、にんじん)、紅白はじかみ、ミニトマト。二の重に稲荷寿司(津軽風紅生姜入り)、太巻き、すしこ、ご飯(つがるロマン)。弘前駅に着いてからコンビニで冷えた白ワインを1瓶買う。ホテルの部屋で遅い夕食になった。

 十一月二十一日 にくまん。
 午前6時から、八坂公園周回コースを8.5キロ走った。
 かあちゃんが、肉まんをつくった。ばんごはんは、にくまん。

 十一月二十日 八坂公園晩秋。
 日曜日、雨があがってる。次男が、弓道部の部活に出かける。東武野田線愛宕駅までおくって行った。雲のすき間に輝く青空が見える。
 朝食後、八坂公園を走った。時々、日が差す。園内の木が紅葉している。路面に落ち葉がたくさん落ちている。ゆっくり11キロ走った。
 

 十一月十九日 メタルボンド。
 歯科技工所から左下第二小臼歯のメタルボンドが出来上がってきた。(左写真) メタルボンドは、陶材焼付け前装金属裏装鋳造冠の俗称です。ロストワックス法で鋳造した金属冠の表面に歯冠に似せた陶材を摂氏1200度以上の高温で焼き付けて作ります。

 十一月十八日 国民総幸福量 GNH 。
 昼にグループホームなかよしさんに訪問診療をした。左写真は、なかよしさんの庭、クリスマスイルミネーションの準備をしている。
 日本との国交樹立25年を迎えたブータンは、国民総幸福量(GNH)を重視するヒマラヤの仏教国である。ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(31)が、結婚したばかりのジェツン・ペマ王妃(21)とともに来日している。
 国民総幸福量( Gross National Happiness,GNH) または、国民総幸福感は、1972年に、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の幸福度」を示す尺度である。物質的豊かさではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたもので、現在、ブータン政府は国民総幸福量の増加を政策の中心としている。政府が具体的な政策を実施し、その成果を客観的に判断するための基準にするのが主な用途で、1990年代からの急速な国際化に伴って、ブータンで当たり前であった価値観を改めてシステム化し数値化する必要があったという。
 2年ごとに聞き取り調査を実施し、人口67万人のうち、合計72項目の指標に1人あたり5時間の面談を行い、8000人のデータを集める。これを数値化して、歴年変化や地域ごとの特徴、年齢層の違いを把握する。国内総生産(GDP)が、個人消費や設備投資から成り立つように、GNHは 1..心理的幸福 2.健康 3。教育 4.文化 5.環境 6.コミュニティー 7.良い統治 8.生活水準 9.自分の時間の使い方 の9つの構成要素がある。GDPで計測できない項目の代表例として、心理的幸福が挙げられる。この場合は正・負の感情( 正の感情が 1.寛容 2.満足 3.慈愛  負の感情が 1.怒り 2.不満 3.嫉妬 )を心に抱いた頻度を地域別に聞き、国民の感情を示す地図を作るという。どの地域のどんな立場の人が怒っているか、慈愛に満ちているのか、一目でわかるというのだ。
 あらためて言うまでもなく、幸福はそれぞれの人の脳の中の事象なのだ。他者が検証することができない。あなたの幸福と私の幸福は同じではないのだ。幸福を数値化することに大きな難しさがあるだろう。ブータンでは、8000人に5時間の面接をするので述べ4万時間を費やしている。幸福に数値的定義があるわけではないので計量とか計測ではなく面談による数値化なのだ。その算出方法に大きな課題と困難さがあるだろう。が、国民総幸福量の増加を目指すブータン政府の取り組みに、若き国王に期待したい。「国民総幸福で立国」具体的に定着したらすばらしい。国民の総幸福が、国を建てる資源になるということだ。
 東京都のある自治体では、ブータンに職員を出向してその考えを学び、国民総幸福量を数値化する技術を習得する取り組みがあるそうだ。一時の、ハヤリで終わって欲しくないが、行き過ぎて、定量できない幸福を科学するような危うい事にならないように願う。
 そもそも、幸福とは、一体なんだろうか。

 十一月十七日 洗車。
 午前8時ごろから八坂公園周回コースを2周しさらに長谷周回コースを1周して約11キロ走った。ゆっくり休みながら走った1時間30分ぐらいかかった。
 久しぶりにZ4を洗車した。ワックスをかける。いつもながら、ホイールの中を磨くのは大変だな。デスクブレーキから飛散した高温の金属粉がホイールの塗装に焼きついてしまう。特に、前輪のホイールは大量にデスクブレーキダストが焦げ付いている。
 ばんごはんは、インドの家庭料理「野菜スープ」、オイルサーデイン、レタスサラダなど。

 十一月十六日 インターネット専用のクレジットカード。
 インターネットが現在のように普及する以前、アナログ電話回線でモデムを介してパソコンをつないだパソコン通信と呼ばれた閉鎖されたネットワークが存在した。パソコンから発信した信号がモデムでピーヒョロヒョロジージーヒョロピーとか音声信号に変換されて遠隔のネットワークを運営する会社のサーバーに信号を送った。今の光通信と比較するとそのデータ通信量は極微量と言って良く、さらにそのサーバー内に限られた閉鎖されたネットワークであったのだ。
 私は、1993年ごろからその一つ「ニフテイ」の会員だった。閉鎖されたネットワークでも日本国内のニフテイ会員の間では情報交換ができたのだ。私は、ニフテイを介してパソコン関連の情報を収集したり中古パソコン部品の売買をしていたのだ。当時、まだパソコン部品が高価であり、OSはWindows 3.5だった。パソコンシステムを拡張して使いこなすのには多くの知識やノウハウが、そして中古部品が必要だった。
 その後、20年間のパソコンの発達とインターネットの普及発展を、私はこの身で体感してきた。今日の私のパソコンは、光通信でインターネットを介し例えば隣の家のパソコンや世界中のサーバーに繋がってる。インターネットで薬剤の副作用を調べ、公共施設の所在を確認し、ホテルを予約し、JRの切符を取り、パソコン部品を買い、ダウンジャケットのデザインと機能を確認し、ガス湯沸かし器の見積もりを取る。インターネットは私の生活に密着している。無くてはならない。
 私が、初めてクレジットカードで買い物したのはいつのことだったか。25年前か、もっと前か。クレジットカードでは、30万円までの支払いができる。ゴールドカードでは無制限だ。だから、クレジットカードを持つことは、手形帖を持ち歩くことと同じなのだろうか。ほんとに便利なクレジットカードだ。インターネットでお買い物するときもクレジットカードで決済する。しかし、クレジットカード情報の漏洩が、ちょっぴり不安だね。インターネットとクレジットカード無しでこの世を生きるのは不便だな。だから、ネットで使う専用のクレジットカードと銀行口座を持っている。

 十一月十五日 老健きねぶち。
 今日は、昼休みに老健きねぶちさんに訪問歯科診療をする。新しい患者さんから訪問依頼があった。老健施設に入居されている患者さんは、その前の闘病生活のなかで口腔内の状況が大きく変わっている場合が多い。

 十一月十四日 かぼちゃ。
 かぼちゃが、うんまい。かぼちゃとグリンピースのカレー煮。

 十一月十三日 第21回坂東市いわい将門ハーフマラソン。
 今日は、いわい将門ハーフマラソンだ。午前6時半に起床する。7時頃から朝食を食べる。
 マラソンレースの朝は、いつもおにぎり2個、卵焼き、麦茶のセットです。うちでは、マラソン朝食セットと呼ばれている。8時に約600メートル歩いて受付まで行く。受付でゼッケンをもらって一度うちに戻ってくる。 かあちゃんは、一週間前から足が痛くて出場を迷っていたのが、断念したようだ。
今日は、最高気温21度の予報。風も無く良好な天候でレース日和になりそうだ。9時10分に家を出て八坂公園内で記念写真を撮る。(右側写真上段左写真) 八坂公園は私のランニング練習のホームグラウンドだ。いつもの周回コースをゆっくり一周してウォーミングアップした。9時50分にスタート最後尾に並ぶ。かあちゃんは、欠場した。一人でスタートに並ぶのはさびしい。(右側写真上段中写真) スタート地点では、やる気が十分だが、どんなレースになるか不安もいっぱいだ。長い時間をかけて訓練した身体が試される。なんちゃって。今回は、ちとも練習してねえし、腹出てるし、どうすんだい。 ゴールを目指して頑張る。しかし、当たり前だが、やみくもに頑張るだけではゴールできない。自分の能力を知り走行行程を予想して体力気力身体能力を配分する。マラソンでも本当の自分自身を知っていることが最も重要なことだ。なんちゃって。制限時間内にゴールできたら合格だぞ。でもまだ半分も走ってないのに、長谷の折り返し地点まで走ったら大汗かいている。練習不足で発汗機能や体温調節機能も衰えているな。今日は疲れるなゴールまでたどり着くかな。(右側写真上段右写真) 
 12キロあたりは田んぼの中を走る。いつもは冷たい向かい風にさらされるところだが、今日の風は温かい。気温が上がってる。給水所でしっかり給水した。。走路上に、甲冑を装備した武者が数人いる。ランナーとタッチして応援してる。(右側写真中段写真)
 17キロ地点を過ぎたら足が上がらなくなってきた。腰は痛くならなかったのでゴールまで走れるな。でも、足底が痛くなってきた。腕を振って走るのだが、なかなか前に進まないや。やっとうちの前まで帰ってきた。 あと1キロでゴールだ。ゴール間際が、最も辛く最も面白い。(右側写真中段右写真)
 ゲストランナーの有森裕子選手が、10キロコースを走ったようだ。うちの前でランナーとハイタッチしながら応援していたらしい。かあちゃんが、撮影した。(右側写真下段写真)
 ゴール直前(5メートル前)、知人がカメラを構えたのを見て思わずポーズをとったら足がつってしまいました。歩いてゴール。2時間14分16秒で完走しました。練習してないし、体重は63キロ台になってるし辛いレースでしたが、天候に恵まれて時間内にゴールできました。レース後、ホノルルマラソン招待の抽選じゃんけん会があった。残念ながら今年も外れたな。(右側写真下段右写真)


 十一月十二日 チャーハンにぎり。
 朝食に私がチャーハンを作る。長い葱をみじん切りにしバター少量、オリーブオイル少量で炒める。小さく切ったレンコン、にんじんを加えて炒める。さらに冷や飯300gを加えて良く火が通るまで炒める。マギーブイヨンと醤油で味を調え出来上がり。フライパンに焦げ付いた飯の部分が肉のような食感になった。それを、100gぐらいに分けておにぎりにした。。

 十一月十一日 グループホーム。
 昼にグループホーム「なかよし」さんに訪問歯科診療をした。Nさんの義歯に、何度かテッシュコンデショナーを入れて義歯の安定を図った。義歯が安定してよく噛めるようだ。義歯は、噛めなければいけないので動的試験をする。具体的には、テストフード(せんべい)を食べていただいて痛くないことを噛めることを確認するのだ。(左写真)訪問診療を終わりにしてかえる。往復移動時間も含めて訳時間。次回は、形を採って新しい義歯製作にかかる。

 十一月十日 チーズ・カッテング・ボード。
 チーズカッテングボードを作った。杉の板を電動ドリルとカッターナイフとのこぎりとサンドペーパーを使って加工した。
 軽くゆっくり3キロ走った。

 十一月九日 医療安全会議。
 午後1時30分から休診にして一般診療会議と医療安全管理会議を行った。今日は、スタッフ全員出席した。

 十一月八日 アップルパイ と オリンパス 。
 冬型の気圧配置で寒く乾いている。
 かあちゃんが、アップルパイを焼いている。オーブンを覗き込んでいる。(左側左写真) 副産物のミニチョコレートパイがビンにつまってる。(左側右写真)ミニチョコレートパイは、アップルパイを作るときに、パイ皿からはみ出したあまったパイ生地を使ってチョコチップを巻き込んで作られたものだ。だから、アップルパイの副産物なのである。
 
 オリンパス・ペンFは、1963年に登場した世界初で唯一のハーフサイズ一眼レフだ。ポロプリズムファインダー、チタン製ロータリーシャッターなど独創的な機能を満載し革新的であった。1966年発売のペンFTは、カメラを被写体に向けると、シャッタースピード対する適切な絞り値がファインダー内に示されるTTLナンバー方式の露出制御システムを内臓していた。小型軽量の一眼レフペンFTは、私のお気に入りで、一人旅の行程中何時もジャケットのポケットに入れていた。私は、このペンFTを1975年ごろから2005年ごろまで使っていた。右写真、現在は手放して手元にない。 私にとってオリンパスと言えば、胃カメラでもなくデジカメでもない、オリンパス・ペンFTなのだ。
 日本を代表する企業オリンパスの企業買収にからむ事件は、一企業のスキャンダルではなく、日本の全企業を見る世界の目が変わる大問題に発展するかもしれない。このスキャンダルは、バブルの副産物らしいのだ。バブルの頃、日本の多くの企業は本業を離れた投機にイッショウケンメイになった。そして、バブルの崩壊で巨大な損失をこうむった。オリンパスでは、その損失が経営トップ3人の秘密で20年間隠されていたらしい。企業買収を装って損失を闇に葬ろうとしたらしいが、ばれちゃった。オリンパスだけではなく、あの時、投機にイッショウケンメイになった日本企業にはオリンパスと同じようなものが隠されているのではないかと世界中から疑われている。

 十一月七日 あさ、ひる、ばん。
 朝ごはんは、目玉焼き、トマトレタスなどの生野菜サラダ、春菊のおひたしなど一つのプレートに盛ってある。目玉焼きセットと果物とパンかご飯、コーヒーと牛乳が朝食の定番だ。今は、リンゴの季節。皮付き紅玉種部をくりぬいてサーブする。(左側写真)
 昼ごはんは、春菊と海老のてんぷらを卵とじにした丼。(中写真)
 ばんごはんは、春雨とにんじんのマーボ豆腐。
 今日の日記は、フードログになったな。
 金地金価格が上昇している。 2011年11月07日16:00公表(日本時間)税込小売価格4684円になっている。(キロバー建ての1g当りの価格) 金地金価格が上昇すると金を含有する歯科用金属材料の価格が上昇する。材料価格の変動が保険診療点数に反映されるのは、半年ごとだ。金価格の急激な変動は、歯科医療にも影響する。

 十一月六日 いわい将門ハーフマラソン大会。
 日曜日、今にも雨が降りてきそうだ。午前9時ごろから先週木曜日に刈った芝をかたずける。意外と時間がかかる作業だ。腰に負担がかかる。斜面で竹箒を使うのは、腰に負担がかかり痛くなった。でも、芝生がきれいになった。きれいにするのは、なんでも手間がかかるな。。
 来週の日曜日は、いよいよ将門マラソンだ。ぜんぜんやる気が無いだろうと言われても言い返せないぐらい練習量が少なくなってる。今日は、木曜日にハーフを走って刈り払い機で芝刈りをした時の疲れが残っている。でも、八坂公園周回コースを1周した。 約2キロ走ってその前後は歩いた。腰が痛い。大会の装備が八坂公園敷地内の倉庫で待機している。大会関係者は、午前5時に集合らしい。大勢のボランテアの人に感謝。

 十一月五日 お誕生会。
  中学のときの同級生が集まって酒を飲んでる。私が参加したときには、みんな酔っ払ってる。記念写真を撮る。

 十一月四日 柿。
  柿が実ってあちこちからいただく。私は、皮をむき種を取り小さく切ってヨーグルトに混ぜてみる。レモン汁を少し入れると美味しい。
 かあちゃんは、柿とリンゴとオレンジのクランブルケーキを焼いた。

 十一月三日  朝のコーヒー。
  毎朝、だいたい私がコーヒーをいれる。コーヒーの香りが部屋にゆらぎ充満する。ハワイのホテルの朝のような雰囲気だ。と、かあちゃんが言う。 しかし、コーヒーをいれている者はそう感じない。次男もよく、自分のいれたコーヒーはうまくないと言う。実は、私も自分でいれたコーヒーはそううまく感じない。おそらく、かあちゃんもそうだろう。
 私は、他者がいれたコーヒーが自分でいれたものよりも、よりうまいと感じるのではないかと推察している。それは、いれている者は、いれている時点ですでにコーヒーの香りを十分に嗅ぐのでコーヒーの香りに対する感受性が慢性化してしまう。その者はコーヒーを飲む時点では、味だけを楽しむことになる。しかし、他者がいれたコーヒーを飲むものは香りと味を同時に楽しむことができるので、よりうまく感じるのではないかと思う。 そこに、スターバックスなどのコーヒー専門喫茶店の存在意義があるのだろうか。
 八坂公園周回コースは、私のランニング練習のホームグラウンドになっている。車道と交差しない公園内の小道だから安全なのだ。が、軽度のアップダウンとタイトコーナーの連続で足腰と足首に負担のかかるコースなのだ。今日は、八坂公園周回コースをきっちり21キロ走った。タイムは2時間24分。将門ハーフマラソンの制限時間は2時間30分だ。おそらく本番レースでも制限時間内にゴールできるだろう。そして、ホノルルマラソンの招待者抽選のじゃんけんに参加したい。
 その後、刈払い機を使って芝刈りをした。マラソンをするようになってから7年経過した。ハーフを走ってから家の周りの草刈ができる体になった自分をほめたい。体力を保つために走り続けたい。
 私が炊き立てご飯で鮭と梅干の握り飯を作った。かあちゃんは、美容室に行ったので一人で昼飯を食った。
 午後4時、次男とかあちゃんと私の3人で実家の墓に行った。今日は、実母の命日である。もう18年も経った。
 ばんめしは、いくら丼。そして、野菜とベーコンの鍋。はくさい漬物、キムチなど。久しぶりにバドワイザーを飲んだぜ。(右写真)

 十一月二日  老健きねぶちさん。
  今日も午後1時半から老健きねぶちさんに訪問歯科診療をした。Nさんの新しい義歯の調整をする。

 十一月一日  キャラメルアーモンドヌガークッキー。
 かあちゃんが、キャラメルアーモンドヌガークッキーを焼いた。アーモンドスライスの上に飴がけされたキャラメルが良いメーラード反応でうまそうだ。昼休みにみんなで食う。
 午後1時半から老健きねぶちさんに訪問歯科診療をした。Nさんの新しい義歯が出来上がった。上下の義歯とも、歯根を一部残した歯ぐきの上に義歯を載せているので調整が難しい。うまく入れられるまでに時間がかかり、痛いところがなくなってなんとかテストフードを食べられるところまでこぎつけた。高齢の患者さんの義歯には名前を示したシールを埋め込んでいる。義歯に名前を入れているのだ。高齢の方が、自身で義歯の管理ができなくなったり、介護施設などに入居した場合、義歯の管理を介護者に委ねなければならない。義歯に名前が入ってると介護者は安心して義歯を預かることができる。Nさんの義歯にも名前を入れた。(右側上段写真) 訪問診療で義歯関連の治療をした時には、多くの場合テストフードの柔らかめのせんべいを食べていただく。診療後に何か食べて痛いところがあっても患者さんは来院できないし私もすぐまた訪問診療できない。食べて痛くないことを確認して診療を終わりにするのだ。(右側下段写真) 
 きょうは、とても暖かく穏やかな一日だった。こんな日は年に何日もない。みんな、季節の移ろいを感じながら一日を過ごしただろうか。



 

二〇十一年 十一月  デンタ日記



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