二〇十一年 二月  デンタ日記
 
 
 二月二十八日 休診日。
 
  5km   10km  15km  20km  25km  30km  35km  40km  Finish
タイム(スプリット)
(ネット)
(ラップ)
経過時刻
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今日は、臨時休診日。何とか歩ける。階段を下りる時に右膝が痛いな。

 昨日の東京マラソンでは5時間46分で自己ベストを記録更新した。ラップタイム表(右の表)を見ると20キロまではキロ/7分のペースで走ってる。30キロまではキロ/8分台のペース、35キロまではキロ/9分台、それ以降は歩いているのでキロ約10分のペースになっている。

 
 
 二月二十七日 東京マラソン2011。
 5時48分ごろに家をでる。守谷駅6時19分発のTXに乗りJRを乗り継いで新宿駅に向かう。2008年の東京マラソンでは、私一人で走った。「東京マラソン2011」は、かあちゃんと一緒に当選して二人でフルマラソンを走る事になった。都庁のスタート会場に7時30分ごろに到着した。会場にはランナーだけが入場できる。ひとまず記念写真を撮る。(上段左側写真)今日の最高気温は15度の予報だ。でも東京都庁の朝は、まだ寒い。長袖のシャツか、Tシャツか、悩んでいる。
 当選するのが難しいと言われている大会に二人同時に当選した事は貴重だ。この貴重な機会を楽しもう。「部活」?のように毎日練習を重ねてきたかあちゃんは、絶好調でなにか興奮気味だ。私は、ここ一ヶ月あまりの間不調で練習量はかなり少ない。2月に入ってからは、合計80キロぐらいしか走っていないのだ。3日前の練習でも7キロ走ったら膝関節が少し痛くなった。私は不安を抱えてのレースとなった。
 8時10分ごろ。私たちは、手荷物をゴールのビックサイトまで配送するトラックに預けた。ランナーは、自己申告予想タイムごとにいくつかのブロックに分かれてスタートに整列する。かあちゃんはG、私はKブロックだったのだが、...。トイレの順番を待っていて整列最終時間に間に合わず二人とも最後尾に並ぶ事になった。そんな人が何百人もいるから正確には最後尾ではないのだが、..。スタートの号砲がかすかに聞こえたが、列が動き出したのはそれから数分後だった。(上段中写真) そして約20分後にかあちゃんと私は一緒にスタートゲートを通過し、それぞれの左腕のフォアアスリートのスタートボタンを押した。(上段右側写真) かあちゃんはすぐに私の視界から消えた。ゴールまでそれぞれの東京マラソンを別々に楽しむことになる。
 ついに、私の東京マラソン2011がスタートした。スタート地点から10キロまでは高低差40mの下りだ。ゆっくり走る。とにかくゆっくり汗をかかない程度にゆっくり、息が上がらない程度にゆっくり走る。。5キロ地点、飯田橋あたりで暖まって汗ばんできたのでジャケットを脱いで記念写真を撮った。(二段目左側写真) 足底も暖まってきた。やっと体中がリズミカルに動くようになった気がした。皇居をぐるっと回って10キロ地点を通過し品川に向かうころにはTシャツでも汗が出る。。(二段目中写真) 腕をしっかり振ると骨盤が連動して足が前に出る。腕振りをしっかりするように意識する。東京タワー付近13キロ地点では、かあちゃんはどれくらい先行してるか気になるが対向のランナーのなかにかあちゃんを探す余裕などすでにない。だが、東京タワーといっしょの記念写真は撮った。(二段目右側写真) 続いて増上寺の前で写真を撮った。(三段目左側写真) 今回のレースの記念写真は、全て携帯電話のカメラで撮っている。軽くて薄くカメラとしての機能もそれなりだが、操作性が悪いのが難点だな。練習のときに走行しながらの携帯電話カメラ機能で撮影訓練を重ねていたが、やっぱり今ひとつだな。15キロ付近で折り返すとちょっと右膝関節に不調を感じてきた。痛いほどではないのだが気になりペースを落とす。コースは北に向いている。向かい風になったが冷たく感じるほどではない。今日は天候に救われている。気温が低かったり風が強かったら膝がもっと痛いかもしれない。東京タワーをもう一度見て中間地点に向かう。もう写真を撮る気力がなくなってきたな。
 前回の東京マラソンよりも心地よく中間点を通過する。しかし、まだ21キロ残っている。銀座通りを通過、走路が狭く対向ランナーも居て、応援者も多い。コースの中で最も人が密集するところだろう。後半の給水ポイントにはバナナなどの給食も用意されていた。このバナナはドールが提供する「スポーツバナナ」らしい。バナナは皮がむいてあった。これは皮の散乱対策だろうが、見た目が悪くてちょっといただけないな。
 25キロを過ぎたら右膝関節に痛みが出た。気のせいではない確かに痛みだ。ゴールまで持ってくれよと願ってペースをすごく落とす。28キロ地点をすぎて雷門が近くなってきたのでカメラを用意した。雷門の直前でランナーの応援に来たと思われる東京都知事石原慎太郎氏に遭遇したので写真に撮った。(三段目中写真) 雷門の写真はうまく取れなかった。(三段目右側写真) が、直後のコーナーで建設中のスカイツリーとの2ショットはうまくいったな。(四段目左側写真)
 前回の東京マラソンでは、30キロを過ぎた地点で、自分は走ってるつもりなのに早足で歩いている人に追い抜かれた。とたんに、へなへなと歩いてしまったのだ。今回は、膝関節に不安を抱えながらもまだ走っている。痛いが、我慢できる程度だ。周りに歩いているランナーが増えた。(いつも思うのだが、歩いているランナーと言うのは妙な言い回しだな。)
 31キロあたりの給水所でアンパンを食べたが喉が渇いて飲み下せない。喉にアンパンが引っかかったまましばらく走った。再び銀座を通りすぎる時にもまだ走り続けている。今までのフルマラソンで最も長く走り続けている。「最長不歩記録」とでも呼ぼうか。自己最長不歩記録更新だな。35キロ地点を通過するともうすぐ、「悲しみ坂」に差し掛かる。前回2008年東京マラソンで佃大橋の上り坂を登っている時、寒いし、足は痛いし、頭痛はするし、ゴールまで10キロ以上あるし、「俺は何でこんなことしてんだろ。エントリーしなきゃ良かった。」などと考え始めたらとても悲しくなってきてなぜか涙が出て本当に泣いてしまったのだ。それ以来、私はこの坂を「悲しみ坂」と呼んでいる。今回は、泣きはしなかったんだが、右膝が痛くて歩いてしまった。もうどうにも走れない。走ると右膝関節下側が変な痛みを感じる。激しい痛みでは無いが走れない。我慢して走ると損傷してしまいそうなので歩いた。かあちゃんから「ゴールした。」メールが届く。早いな、すごく早い4時間30分ぐらいのタイムだろうな。私のほうは右足の小指にマメもできてしまった。「靴紐の締め」に失敗してしまったからだ。後ろのほうから下駄の音がする。まさかと思っていると下駄を履いたランナーに追い抜かれた。肩から予備の下駄を2足さげている。スタートから下駄で走ってきたらしい。すごい。
 残り6キロ、ゴールまで歩いても制限時間内にゴールできる距離だ。「完走」走りきる事は不可能だが、歩いても完走はできる。給水所で一寸停止してゆっくり水を飲みながら靴紐を締めなおす。気を取り直して走り出す。走るとやっぱり痛いのだが、歩きなら大して痛くない。腕を大きく振り早く歩いても大丈夫だ。思い切り早く歩いてみると、なんと1キロ8分15秒から30秒ぐらいのペースだ。走っているより早いではないか。2008年あの時、歩いている人に追い抜かれたのを思い出した。ゴールまで残り6キロを競歩で歩く事にした。歩いている人も走っている人もいっぱい追い抜いた。6キロの間に1000人以上は抜き去ったぞな。歩きでも大汗かいたよ。ゴールゲートも競歩スタイルで歩き抜いた。かあちゃんに一時間ほど遅れてゴールした。でもフルマラソンの自己ベスト更新だな。2月は不調だったけど、1月に300キロ走ったのが効いているのかな。ゴール直後に東京湾を背にして記念写真を撮る。(四段目右側写真) 
 多くの大会運営者とボランテアスタッフ、全ての関係者に感謝いたします。私の東京マラソン2011を楽しみました。着替えて、茶を飲んで、菓子食って、一息ついたところでかあちゃんといっしょに記念写真を撮る。(五段目写真) またいっしょに東京マラソンを走りたい。でも、右足膝関節がすごく痛くなってきて歩くのもつらくなってまった。
 

 二月二十六日 土曜日。
 午後は、とってもいっぱいのキャンセルがあって、のんびりしちまった。
 明日は、午前9時10分スタート。かあちゃんは、レース前日で妙にそわそわして落ち着かないらしい。 かあちゃんは、かすみがうらマラソンですでにフルマラソン完走の実績があるから大丈夫。
 写真は、あの「小出監督」のトークショー(24日)。 

 二月二十五日 とらやの羊羹。
 東京マラソンでゴールした後に、これを食う。 ゴールしたらこれを食う。熱いお茶と。 ゴールしたらこれを食う。 
 春一番がふいた。日曜日の天気はどうなんだ。

 二月二十四日 東京マラソンEXPO2011。
 第5回目となる「東京マラソン2011」にかあちゃんといっしょにエントリーしている。今日は大会受付にビックサイト「東京マラソンEXPO2011」に出かけた。受付けを済ませてナンバーカード(胸につける番号票)をてにするといよいよレースだという実感が出る。エキスポのほうは、誰でも入場できる。こちらもひととおり見て回る。、スポーツグッズ等の展示即売会や各種イベントが行われている。いやがおうでも盛り上がってくるね。でも、私の体のほうはマラソンレースの準備不足はいなめない。2月になって体長が今ひとつで、おまけにすでに膝関節が痛い。奇跡的に走り通して「完走」できるだろうか。とにかく後半は歩いてでも時間内にゴールできるだろうか。不安だ。
 まあ、今日はあの「小出監督」のトークショーや有名トレーナー諸氏の直前ワンポイントアドバイスを聞き歩きんながら「お祭り」を楽しもう。左写真は、先導車を勤める
New BMW ActiveHybrid X6(ブルー・ウォーター)。

 二月二十三日 水戸出張。
 午後を休診にする。茨城県歯科医師会国民健康保険組合会の会議のため水戸に出張する。3時から5時半まで会議。我が保険組合の歳入予算の約1/4は国庫支出金だ。坂東市や他の国民健康保険組合も同じようなものだろう。国庫支出金の元は国税であるが、多くの健康保険組合は国の支援を受けて運営されている。 私の任期も3月いっぱいで終わる。もう水戸に出張する事もなくなるな。
 かあちゃんが、バナナタルトを焼いた。(右写真)
 あのカダフィー大佐が側近からも退陣を迫られているようだ。ニュージーランド南島クライストチャーチで22日マグニチュード6.3の地震があった。 
 日本の借金は、国内保有者9割を超える国債などで日本国内での借金が多いため、対外的な借金はさほど多くない。 対外負債一位はアメリカで(12兆2500億ドル)、日本は九位(1兆4920億ドル)だ。 国債発行額のGDP比ランキング。一位はジンバブエ218%、二位はレバノン186%だが、どちらも非常に政情が不安定な国だ。三位が日本で170%だ。四位はジャマイカ126%だ。先進国としてはかなり異例の多額の借金をしてその多くを国債に依存している。(GDP : Gross Domestic Product 国内総生産とは、一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額。)
 低金利で魅力がない日本の国債は海外では売れず、「国」という肩書きだけで安心感を感じる日本国民が購入する。つまり、国税でまかないきれない国庫は国債という形で次の世代の国民に借金している。まるで、ネズミ講(無限連鎖講むげんれんさこう)のようなものだ。健康保険に限らず国民はだれでも「より手厚いサービス」を受けたい。でも国民はだれも増税を望まない。だから、国は借金をして手厚いサービスを実施する。この、国債という借金は誰が返すのだろうか。みんなか、みんなの子か、孫か、ひ孫か、誰が返すんだ。 いずれだれも日本の国債を買わなくなったとき、日本の国庫財政はどうなる。民主主義を守るには国民の良識と血税が必要だ。民主化を勝ち取るには、生血が必要なのか。北アフリカも日本も私の世界。


 二月二十二日 クッキー。
 かあちゃんが焼いたクッキーが瓶につめられてストックしてある。ビスコッテイも瓶に入ってる。ここを通ると、...つい、食いたくなる。瓶の蓋をあけて、ちょっとつまみ食う。サックとした食感がうんまい。棚のうえに菓子の細かいかけらが散乱する。
 

 二月二十一日 PR-300NE。
 左写真中央の装置は、フレッツ光ネクスト・ひかり電話ルーターPR-300NEだ。光通信線にインターネット通信とアナログ電話IP電話などを接続する電話通信回線を接続する装置なのだ。ちなみに写真右側はアナログ電話主装置、左側は無線LANの装置だ。
 昨夜、あやまってこのPR-300NEを初期化してしまった。すでに使わなくなった「ADSLルーター」を初期化するつもりだったのだが、ネットワーク上では両者が同じように見えるのだ。ネットワーク上の遠隔操作画面から、良く確かめずにPR-300NEの初期化ボタンを押してしまった。工場出荷状態に戻してしまったのだ。当然のことだが、一瞬にしてインターネット接続を失う。しかし、あわてずに、..インターネット接続設定は、ADSLでも光ネクストでも設定項目は同じなので経験がある。必要事項を入力してインターネット接続をすぐに、昨夜のうちに、いとも簡単に復旧した。 光電話の設定は、特にしなかったのだが、..電話も使える。117で時報を聞いて確認した。
 しかし、今朝から電話がかかってこない。今朝から電話が一度も鳴らないのだ。どうやら、発信はできるのだが、着信していないらしい。来院した患者さんに指摘をうけて気づいたのだ。 光電話の設定をしなければいけないんだとすぐ理解できた。 が、しかし、私は、光電話の設定をした経験がない。 設定項目のバックアップもとってない。 設定項目も初めて見るものばかり、..で、その意味もわからない。 ちょっとわからないのでNTTの光電話サポートに電話し相談したが、わからない。 アドバイスどうりに操作しても復旧しない。ハードウエアの故障ではないのだ。サポート係りは、事態を把握できないのだろうな。当然だろうな。 ...自宅も診療室も電話はすべて発信できるが着信しない状態が一日続いた。何回も電話をしてくださった人にはご心配と迷惑をおかけしました。ゴメンナサイ。
 診療が終わってから、じっくりPR-300NEのマニュアルを読んで、光電話の設定項目をうちの電話設置状況にあわせて再設定した。 電話も復旧しましたよ。 ...。  電話が、つながらないのはとんだことだ。私は、ちょっとあわてて右往左往してしまった。原因は、昨夜の「初期化」なのは明らかだった。 冷静に順序良くマニュアルを読んで再設定したらもっと早く復旧したにちがいない。想定外の事、未経験の事が起きると「ちょっとパニック」になるんだな。冷静さを失うんだ。良い経験になった。
  さてと、PR-300NEの設定項目のバックアップファイルをとって整理しておこう。

 二月二十日 携帯とパソコンのUSBリンクケーブル。
 写真は、携帯電話とパソコンをUSBで繋ぐリンクケーブルだ。携帯のマイクロSDカードのバックアップをとったり携帯の充電をしたりと何かと便利だ。充電器を買うよりもこのケーブルのほうがユースフルでコストパフォーマンスが高いと思う。
 

 二月十九日 フットコントローラー。
 歯科治療用の椅子の上下動、背もたれのリクライニング、エアータービンの速度設定などはフットコントローラーで行う。私は、大学の学生実習の時から右足でコントローラーを操作してきた。それも踵を浮かして右足首をフリーにしてコントロールしてきた。もう35年ほどそうしている。この事が、左右の足の筋肉の付き方関節の曲がりなどなど多くに影響しているらしい。17キロ以上の長距離を走ると右足底が痛くなってくるのはそれが原因らしい。東京マラソンまであと7日。
 

 二月十八日 チニジア周辺。
 今年は、チニジアに旅行しようと思っていた。フランスと地中海とイスラムが交じり合った中にローマ時代の遺跡があるらしい。ちょっと魅力的でなぜか惹かれるものがありいつか行きたいと思っていたのだが、...。 とんだことになってしまったので当分のあいだ行けないかもね。 チニジアから、エジプトやリビアにまで広がってしまった。どうなるだろうか。
 

 二月十七日 八坂公園周回コース。
 久しぶりに八坂公園周回コースを走った。
 

 二月十六日 新しいライトスカッド。
 新しいランニングシューズに靴紐を通す。

 二月十五日 老健きねぶち。
 老健きねぶちさんに訪問診療をした。このホールは天井が高くて空調がここち良い。陽の光の差し込み方もすごく良くて目にもここちよい空間だな。
 かあちゃんが、ゆきかきをしたところの雪は、午後になってすっかり溶けた。。
 

 二月十四日 イチゴ いちご。
 巨大なイチゴをいただいた。形はそれぞれがいびつであるが、大きさはとちおとめの2倍以上だ。味も香りもとちおとめに劣らない。うんまいな。流通していないので千葉県の生産地まで買いに行かないと手に入らないらしい。
 夜になったら雪が降ってきた。見る見るつもっている。。
 

 二月十三日 チョコレートクッキー。
 かあちゃんが昨日クッキーを焼いた。今日はチョコレートがかかっている。。
 

 二月十二日 当選番号。
 平成23年用お年玉付年賀はがきの当選番号を見た。4等が3枚。なんと3等が1枚あった。3等の当選があったのは初めてだ。商品は「選べる有名ブランド食品・地域の特産品」だ。どっかのうんまいもんがもらえるんだな。たのしみだな。 

 二月十一日 雪。
 朝から雪が降っている。さほど気温が低くないのか道路には積もっていない。雪が霧雨のようになったところで走りに出た。長谷周回コースを1周して約4キロ走った。とってもゆっくり走った。デスクワークをしているが、いやいややってるのではかどらないな。
 かあちゃんが、肉まんと中華風スープを作った。 

 二月十日 メタルボンド。
 歯科技工所から左下第一小臼歯のメタルボンドが出来上がってきた。 メタルボンドは、陶材焼付け前装金属裏装鋳造冠の俗称です。ロストワックス法で鋳造した金属冠の表面に歯冠に似せた陶材を摂氏1200度以上の高温で焼き付けて作ります。陶材は焼きあがる時に収縮して変形するのでそれを見越して美しい歯の形を作るのは大変な技術と技とセンスが必要です。歯科技工士の高度な技術に感謝です。 意図的に色むらを付けて自然な歯に見えるように工夫してあります。このあたりは技工士の美的センスが要求されますね。噛む面の溝にちょっと茶色く色付けています。自然の歯にとても近い感じできれいに出来上がりました。メタルボンドは健康保険の給付対象外なので自費診療になります。 

 二月九日 雪。
 目覚めたら霧雨が降っている。今日もランニングを休む。雨が午前8時半ごろから雪にかわる。しばらく降っていたが昼までにはやんで陽が出てきた。昼休に木根淵病院に訪問歯科診療をする。(左写真) みょうに疲れている。試しに昨夜は、マスクをして寝てみた。昨日よりも頭痛が軽いく喉のがさごぞ感がすくないのは気のせいかな。やはり、花粉症か?
 昼に老健きねぶちさんに訪問診療をする。その後、午後の診療の一部を休診にして医療安全会議を実施する。今日はスタッフ全員がそろった。スタッフ全員での協議と情報共有は重要だ。

 二月八日 家族?。
 目覚めると頭痛がする。すごく肩がこっている。僧帽筋がすごくこわばっている。足の筋肉もこわばって硬い。目がこそばゆい。鼻の粘膜が乾いてひりひりする。唇が乾いた感じ。喉が痛い。ひょっとして花粉症か?。花粉症ファミリーの仲間入りか?
 長男がカナダに修学旅行に行ったのは、たしか5年前か?。左写真は、その時の土産の一つ。鹿か?トナカイ?のぬいぐるみが部屋のすみから出てきた。かわいそうに、これを買って来た者にも忘れられているだろう。そういえば、次男が、幼稚園児のころハワイで買って来たイルカのぬいぐるみを家族のようにかわいがっていたな。 
 私が、水戸の高校に就学していた時に賄い付きの下宿に住んでいた。高校一年生の時に居た下宿は高校生が二人と大学生一人が入居していた。おおや夫婦と同じ献立の食事が提供された。が、うんまくなかったね。下宿することは初めての経験だったので「賄い付きの下宿」はそんなものかと思っていたのだ。 2年生になった時におおやの都合で下宿を変える事になったのだが、..。
 高校2年の後半から卒業まで住んでいた「2番目の下宿」は、那珂川のほとりにある木造2階建ての賄い付きの下宿だった。入居者は、塗装工のにいちゃん、胃弱の会計士のおにいさん、バーテンダー、精神病の短大生、高校生の私。ここでの一年半の生活は、私の人生に貴重な経験を残す。おおやさんは50代の女性で、水戸の老舗の料亭で長い事ナカイをしていたらしい。両親は幼いときに他界したらしく親戚の家で育ったらしい。給与を必死で貯めて土地を買い家を建て下宿屋をはじめたらしい。良縁がなかったか自分でそう決めたのかは定かでないが、おおやさんは未婚で実子はいなかったが、30代の男性の養子が同居していた。おおやさんの料理はうまかった。いつも食材や調理法に工夫して安そうだがうまいあたたかい食事が出てきた。でも、米はまずかったな。冷や飯になるとまずさが際立つ、みんんなまずい米を食っているんだなと思った。下宿する事によって、当時実家で生産していた米が、いかにうんまかったかを認識したのだ。 私の事実は、いつも小説やドラマよりも面白い。
 さて、NHK朝の連続ドラマ「てっぱん」の底をつらぬくテーマは「家族」だが、..。 血縁があれば、それで家族なのか?。 同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食ったら「家族同然」なのか?。夫婦って元は他人同士、結婚したら家族化?。離婚したら元家族?。 卵子や精子の提供を受けて体外受精し代理母の子宮で育った子の家族は、どうなんの。 ホモセクシュアルの夫婦(?)が、養子を得て一緒に暮らしたら「擬似家族」それとも家族?じゃないのか。 私の頭の中で「家族」という概念が、ぐるぐるしている。 辞書に書いてあるような定型的な家族の概念では説明できない事象が、社会のあちこちでますます頻繁に見聞きするようになるだろう。私は、ヒトの社会性の進化あるいは成熟と見ているのだがいかがなものだろうか。 自分の実父とのこれまでの家族関係をしっかり整理しておく時期なのか。 自分のこれからの家族は、辞書に書いてあるような定型的な家族の概念で説明できるようであって欲しいと思っているのは、現状維持バイアスのせいだろう。 さあて、これからどんな家族が、やってくるのか。。 

 二月七日 左上第一大臼歯のメタルボンド。
 Tさんの左上第一大臼歯のメタルボンド(陶材焼付け前装金属裏装鋳造冠の俗称)が出来上がりました。意図的に色むらを付けて自然な歯に見えるように工夫してあります。自然の歯にとても近い感じできれいに出来上がりました。左写真は、模型上で製作作業が終わった時のものです。上顎の大臼歯は、あまり人目に触れる事はありませんが、大きく開口して笑った時には見えるかもしれませんね。メタルボンドは健康保険の給付対象外なので自費診療になります。

 二月六日 64きろ。
 左図は、33年前に歯科大学6年生だった私のノートに書かれていた落書き。
 なんか頭痛。シコツ洞あたりが痛いな。またシコツ洞炎だな。ランニング練習休み。さぼってばかりで体重が急上昇中。64キロ台になっちゃった。
 

 二月五日 訪問診療の総義歯。
 昼休にGさん宅に訪問診療をする。新しい総義歯が出来上がった。微調整してから装着していただいた。テストフード(やわらかいせんべい)を食べていただいて安定して噛める事を確認して終わりにした。Gさんは、いつもテレビでNHKの番組を観ている。いっしょに「土曜スタジオパーク」を観た。。
 

 二月四日 なごり。
 昨夜、「豆まき」をしたなごりが階段の手すりの上で朝日をあびている。 昨夜、次男が、家のあちこちに福豆を並べていた。「福」「鬼」の進路を福豆で誘導したらしい。私は、今日その豆を一つずつ拾って食べている。
 今日は12時50分から、昼休中なのだが、八坂公園周回コースを5.34キロ走った。
 かあちゃんは、あんこ入りのクッキーを焼いた。(右写真)。

 二月三日 運転免許証。
 境警察署で午前10時から運転免許証の更新手続きをした。顔写真を撮るときには多少なりとも緊張する。口角を上げようとして口が曲がった。しまった。失敗してしまった。この運転免許証の写真だが、もっとイイカオに撮れるシステムは無いものかね。写真撮影の後、約一時間の安全運転講習を受ける。午前中に終わった。運転免許を与えられると公道で自動車を運転できると同時に運転者としての責任と義務を担う。
 ところで、 幕下のすもうとりには給料がでないらしい。すもうとりとしては仮免許ということか。幕内すもうとりには給料がある。すもうとり免許を持ったということか。
 午後は、ちょいっとデスクワークをした後、午後4時11分から八坂公園周回コースを8キロ走った。走るのが辛いな。筋肉が硬くなってる。 
 すもうは、日本国の国技なのか?。 国技だとしたら頂点にたつものが日本人ではないのはなぜ。 柔道か、いや、剣道かな。が、日本の国技じゃないのかな。..すもうには八百長をしても罰則規定がないらしい。 あれは、競技ではなく儀式なのだろう。私は、すもうに関心がない。もっとも柔道にも剣道にも関心があるわけではないのだが、..。 悪しき事で関心をもたれてしまうのはいかがなものか。 

 二月二日 国道354。
 坂東市岩井の街中を貫く道路。(左写真)初めてこの道を歩いたのは4歳の頃だったろうか。今から53年前だ。もっともっと以前から店を構えている老舗もある。道幅も広くなり電線が地下に敷設され電柱がなくなり店舗もみな新しくなった。すっかり様子が変わってしまった。 いつのころか、国道も鉄道も通っていない日本で唯一の「市」と言うことで岩井が有名になった。? そこで、街中を貫くこの道路を国道に昇格?指定してもらった。? らしい。
 今日は、午後6時39分から岩井商店街の中央の通り(国道354)を3往復して5.72キロ走った。走るのが、つらいな。今日は5キロが精一杯だな。 

 二月一日 ノートの落書き。
 左図は、33年前に歯科大学6年生だった私のノートに書かれていた落書き。
 今日は、午後6時24分から岩井商店街の中央の通り(国道354)を5往復して10.18キロ走った。この練習コースは、だんだんスピードが上がってしまう。。


二〇十一年 二月  デンタ日記



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