百歳の総義歯。 歯科医師 木村達哉(1998年6月)
百歳のおばあちゃんの入れ歯をつくる

 おばあさんは、数年まえに大腸の手術を受けたそうであるが現在はすこぶる元気である。しばらく前から義歯がゆるくなってきた。 最近は食事ができないので我慢できなくなってしかたなしに来院した。 二人の息子さんのどちらかが付き添って来る。 でも自力で歩いて診療室に入ってこられる。 話も理論的でしっかりしている。 すこし耳が遠い。
 よほどの不具合がない限り高齢の患者さんは義歯を新しくしたがらないものです。通院が大変だったり、新しい義歯に適応するまで大変苦労するからです。この苦労は義歯を使ったことのない人には理解しがたいものです。なかにはせっかく新しく製作した義歯を使わないで古い義歯を使いつづける方もいます。義歯製作にあたって、その良し悪しは歯科医の医療技術もさることながらその患者さんの適応能力、総義歯においては特に口顎顔面の運動能力に頼るところが大きいのです。新しい義歯製作を成功に導くために患者さんご本人、家族や介護者のかたがどのようにに取り組むべきかこのおばあさんの例にそって解説してみたいと思います。(歯科医師 木村達哉)

患者さん、家族や介護者のための説明 歯科医療関係者のための説明
旧義歯 古い義歯を修理して継続して使えるようにする方法もあります。いままで使っていた義歯を修理した方が患者さんの適応が早いという利点もあります。しかしその方法が全ての義歯に応用できるわけではありません。おおむね2年以上経過した義歯は新しく作りかえほうがいいようです。
この写真のようになってしまったら修理できませんね。限界です。新しく義歯を作らなければなりません。このような義歯を入れ歯安定剤などを用いて無理に使い続けると口腔粘膜や顎関節に重大な損傷を招くことになります。
数回の増歯、修理、摩耗などにより義歯は異様な形態になっていた。上顎義歯中心と上顎正中にずれがある。無視。初めに即重レジンで上顎の咬合面を整えた。顎顔面に対する上顎咬合面の位置を整えてから上顎にT.conを流す。次に下顎義歯を上顎義歯にあわせて即重レジンで整えた。下顎にもT.conを流す。
a.十二年も使われていた
上顎義歯テシュコンデショナー あわない義歯を長いことガマンして使っていると口の粘膜が荒れた状態になったり顎関節に異常な負担がかっかたり変な癖のある噛み合わせになったりしてしまいます。それを治療するために今までつかっていた義歯にテッシュコンデショナーという材料をながし着けました。入れ歯安定剤に似ていますが異質のものです。これは粘膜の治療とともに義歯の安定を図ります。総義歯の場合はこの粘膜に当たる部分の形がもっとも肝心なものです。
義歯の中心線と上顎の正中線は上顎中切歯一歯分のずれがあった。即時重合レジンで補強しながらT.conを重ねて失われた咬合高径を回復する。上顎は三回目のT.conでほぼ安定した。しかし下顎はなかなか顎位が定まらず何度もT.conをながすことになる。荒海に浮かぶ小船のようだ。泣けるぜ。T.conをながすたびに下顎が前にでてきてしまう。これも長年の咀嚼習癖の為か?
b.上顎義歯粘膜面
下顎 下顎の義歯にテッシュコンデショナーをながしたところです。粘膜に当たる部分の形が良くなるまで何度もテッシュコンデショナーをながします。テッシュコンデショナーを着けたままの旧義歯を使い続けていただきます。その間に噛み合わせの癖なども取り除かれていきます。このとき義歯の周りに付いたテシュコンデショナーを剥がさないようにして下さい。材料の匂いや味も少し辛抱して下さい。 泣けるぜ。下顎は一度T.conを除去してはじめからやり直すことにした。
そこでひらめいた。
まず安定している上顎の義歯に下顎の義歯をパラフィンワックスで固定仮着した。
下顎義歯にT.conをながしてそのまま(上下義歯固定のまま)口腔内に運び上顎義歯を押さえつけながら中心位で閉口してもらいT.conの硬化を待った。
c.下顎義歯粘膜面
上顎と下顎の位置関係を記録しているところ。
この例では旧義歯を使って新しい義歯の型を採りました。型を採るときまでに主治医に新しい義歯についての要望をつたえると良いでしょう。

型をとるまでに8回通院しました。家族の方は大変でしたが散歩のつもりで来ていただきました。
その後も数回T.conをながし失われた咬合高径の回復と下顎位の安定を計った。
ラミテックでBTをした。上下義歯咬合面6番あたりにグルーブを彫るといい。おばちゃんは中心位でかんでくれないよ。上顎義歯を左手でオトガイを右手で押え込む。ゆうはやすしである。
d.かみ合わせの記録(1)
この義歯の内面に石膏を流して新義歯を作る作業模型を作ります。 ユーテリテーワックスでボキシングをしたところ。通常は硬石膏で作業模型を作ります。上顎前歯部などでオオバーハングが大きいまた下顎前歯の顎堤が細いような時は超硬石膏を使う方が良いでしょう。
e.かみ合わせの記録(2)
咬合器という装置に石膏で作った模型を取り付けます。咬合器は顎の動きをシュミレートする機械です。 いつものように咬合器に装着。
ここで旧義歯が見事な物なら歯列見本を採りいっしょに技工所に送る。歯列の大きさ形態を旧義歯に似せて造ると患者の適応が早いし、審美的トラブルも少ない。今回は旧義歯がへたってるので参考にならない。よって歯列見本を採らなかった。
f.咬合器装着(1)
下顎のドテがない。これでは入れ歯がはぐきの上に乗っているだけです。顎が動けば義歯はまるでサーフィンのように動きまくる。でも患者さんが訓練することでこのようなケースでも義歯を使いこなせるようになる。 上顎は普通だね。
下顎の荒海がよく見える。
これぐらいの人はいっぱいいる。でも加えて百歳だと顎の動きが今一つで義歯の安定は望みが薄い。
g.咬合器装着(2)
完成した上顎義歯。
専門用語では歯茎色した部分を「床(しょう)」と呼びます。この例ではレジンという材料を使っているので「レジン床」と呼びます。
完成した上顎義歯。
蝋義歯人工歯配列後に試適した。
レジン床。リマウントはしていない。
前歯エンデュラ臼歯レービンブレード使用。
h.完成した上顎義歯(1)
写真「b.上顎義歯粘膜面」の形がそのまま新しい義歯の粘膜面の形になります。 上顎粘膜面は普通の外観。
コルベン部を厚くした。
ポストダムを付けない。
i.完成した上顎義歯(2)
完成した下顎義歯。
歯の部分は単純に人工歯と呼びます。材質の違いから陶歯とかレジン歯とか呼ぶ事もあります。この例では前歯はエンデュラ(商品名)という硬質レジン歯を使っています。臼歯はレービンブレード(商品名)という金属刃のついた人工歯を使っています。
完成した下顎義歯。
レジン床。。
前歯エンデュラ臼歯レービンブレード使用。
j.完成した下顎義歯(1)
写真「c.下顎義歯粘膜面」の形がそのまま新しい義歯の粘膜面の形になる事が理想的ですが、実際はその製作過程で変形したり歪んだりします。そこで新しい義歯を入れてから何度も微妙な調整をすることが必要になります。 下顎義歯粘膜面。
舌下ひだ部に張り出した部分が義歯安定の助けになる。たのむよ。うまくサーフィンしてよね。
k.完成した下顎義歯(2)
おばあちゃんのファーストインプレッション。「いたい。」
予想どうりのお答え。新しい義歯の取り扱いに慣れるまで経験豊かな総義歯患者でも一週間はかかります。初めて総義歯を入れる人はほぼ一ヶ月かかります。その間は訓練期間です。
義歯装着
おばあちゃんのファーストインプレッションは「いたい。」そりゃそうだよ。たのむよ中心位で噛んでよ。
装着日にはほとんど削合しない。少なくとも3日まってから調整する。
l.義歯装着
一週間後二度目の調整。まだまだ訓練期間中です。この間に歯科医は患者さんの口の動きや粘膜の状態を見ながら微妙な調整をします。ここで患者さんが自分の判断で義歯を削ってしまったり義歯安定剤を使ったりすると今までの努力が水の泡と消えてしまいます。
義歯調整
旧義歯の時の咬合習癖がなかなか抜けない。
m.義歯調整
そろそろ大丈夫かな。
三週間後おばあちゃんは痛いところはないと言います。総義歯を入れた場合は入れて一ヶ月たったころにまた義歯あたって痛いところが出で来ることがあります。義歯に慣れて良くかめるようになり大きな力が粘膜にかかるようになるからです。この時も入れ歯安定剤などを使わないで歯科医に相談しましょう。
装着後一ヶ月後のリコールは必須でしょう。超高齢者の場合は出不精なので少々痛くてもガマンしてるかも知れない。安定剤をつかちゃうかも。この患者さんはこの半年後に老人ホームに入居された。義歯に名前を入れておけば良かった。
n.完了
これは総義歯製作のほんの一例です。総義歯製作には多くの方法があり使う材料にもいろいろな種類があります。
百歳のおばあちゃんが自力で診療室に入ってこられる。
超高齢化社会なのだ。
この様な光景はそう珍しくもないか?
百歳のおばあちゃんには今回製作した総義歯もうまく使いこなしてほしい。
元気なお姿をみると自分も百歳まで生きられるかもしれないと思う。
私にはまだ50年もある。
1998年6月4日



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